名古屋高等裁判所金沢支部 昭和27年(ラ)33号 決定 1953年1月30日
抗告人 松本寛
右代理人弁護士 山本文吾
相手方 松本芳江
主文
原審判を取消し本件を金沢家庭裁判所に差戻す。
理由
本件抗告の理由は
一、本件被申立人松本芳江は、本件抗告申立人に対し昭和二十七年八月二十六日金沢家庭裁判所に離婚等調停申立を為したところ(昭和二十七年(家)第一三七二号子の親権者並に監護者の指定申立事件)、同年十二月十日当事者間の長女光子(昭和二十三年○月○日生)の親権者並監護者を松本芳江と指定すると審判せられ同審判書は同月十三日送達を受けた。
二、然れども本件被申立人松本芳江の実家である中田一郎にはかつて道義を欠いた事案があつたので、このような家に我子光子(本年数え年五歳)を引渡すということは、現在光子を可愛い一念に養育している本件抗告申立人である夫の松本寛と寛の母親にとつては堪え切れない思がするから、右光子を女親の下におくことにする意味の被抗告人妻松本芳江を親権者並に監護者と指定されることは家庭の道義秩序を活かすうえに妥当でなく、新民法第七六六、八一八条の規定の法の精神ではない。
抗告人とその母親とがこのような不安感を抱かしめる理由には次のような裏付となる事実があるからである。
三、即ち松本芳江の実家の兄中田幸一が昭和十九年二月二十二日○○郡○村字○○○○○番地西山与作の二女西山富子と婚姻の予約を為し同棲し、同二十一年○月○日咲子なる女児を出産したが、子まで生れた間にありながら間もなく幸一から離別(原因は今は知らないが)の話が持ちかけられ、二人の間に生れた右咲子は夫の方で引取ることにして婚姻予約は解消した。そうして幸一とその家長である父親中田一郎とは早速生後二ヶ月にも足らない咲子を別段養育し得ない生活程度の家でもないにも拘らず、金沢市○の○○○番丁○○番地井野和子に養女として托した。
本件抗告人はこのような慈愛のない性格をもつ中田家の家族(被抗告人)を光子の親権者監護者としておくことは光子の将来が不安でたまらない次第である。
四、光子は現在父親である本件抗告人の家にあつて家人一同殊に松本寛の母親の慈愛深い養護と愛情の胸に抱かれて日毎に成長し何の不自由もなく暮らしているのである。若し母親芳江を親権者と指定しておくにおいては、同人の一方的意思により何時養女として見知らぬ養子縁組されるか知れないから、茲に一日も早く光子の親権者を抗告人松本寛に指定されんことを希うところである。
と謂うに在る。
仍て案ずるに親権者監護者を指定する審判に対しては父又は母から不服の申立を為すことを許されて居り、斯様に不服申立を許す審判に対しては其の理由を示すことを要すること明白である。然るに原審判には審判を為すに至る手続上の基礎を摘示するに止まつて、松本芳江を親権者監護者と指定する実質的理由としては、単に諸般の事情を考慮して主文の通り審判したと記載するのみで、審判の主文の様に何故に父を捨て母を選択したかの理由として十分であると謂うことは出来ない。尤も家事審判に於ては民事刑事の審理裁判と異つて法条を解釈して構成要件、法律要件を論理的に導出し、証拠に依つて之れに適合する事実の存否を定めて判決の理由とする様な場合は寧ろ少なくて、主文を導出すべき要件を法律の明文に依り限定されず、主として裁判所の裁量に一任されて居る場合が多いのであつて、本件の様に親権者を指定するに付いても其の依るべき基準に付何等法律は限定するところがなく、専ら裁判所の裁量に一任してあるから斯様な裁判に具体的に理由を附することは極めて困難であることは推察するに余りあるのであるが、然しそれだからと云つて親権者の指定は裁判所の所謂自由なる裁量に一任する法意でないことは其の審判に不服申立を許したことに依り明白である。
蓋し裁判に不服申立を許すと謂うことは其の裁判が単に当該裁判所の満足する理由(謂はば主観的理由)だけでは足らず、不服申立権者及抗告裁判所等の批判に堪える理由(客観的理由)を必要とする趣旨と解すべきであるからである。従つて又斯様な裁判には理由の依つて来る資料が記録の上に客観化されて居ることが必要で、単に審判官の脳裡に印象されて居ると謂うだけでは不十分と謂はねばならない。従つて家庭裁判所に於て調書を作成することを省略し得ることがあるけれども不服申立を許す審判の理由として基本的資料となるべき事項に付いては調書の作成を省略することは許されないものと解しなければならない。
然らば如何なる程度に於て資料を記録に保存し、如何なる程度に於て主文の理由を審判に摘示すべきかは甚だ困難な問題で、判例等の少ない家事審判官の開拓者としての苦心は大変であるが、尠くも父母の孰れかを捨て一方を選択するに付専ら子の利益を考慮されたか、或いは父母の利益も相当考慮されたか又其の子の利益を考えるに付いても父母の愛情の程度を重視したか、子を教育するに付いての父母の智的能力を考慮したのか其の経済的生活力を考慮したのか子の置かるべき家庭的環境を重視したのかと云う様な審判官の調査判断の方向が何れに在つたかに付、記録に保存される資料と審判書に摘示された理由とに依つて大要を推認し、不服申立権者をして之れに服従するか否かを考慮判断せしめ得ることを必要と解すべきであろう。
本件記録に依れば先ず松本芳江より離婚、親権者、監護者の指定、財産の分与等に付調停の申立あり、数回の調停を重ねた結果昭和二十七年十二月十日午後一時離婚の点のみ調停成立し、他は不調に終つた結果親権者、監護者の指定のみ即日審判あり(尤も代理人許可申請書委任状等は十二月十二日とあるが、然し審判通知書の日附が十二月十一日とある点より見て審判書の日附は十二日の誤記でないと認められる)審判の為の調査は特別に為されず、主として調停中に於ける当事者の供述等を基礎として審判された様に記録上考えざるを得ないのであるが、調停は当事者の自由なる意思決定に依る合意成立が唯一の基礎となるもので、調停委員審判官等は当事者の供述態度等より或る事情を一応想定し、之に基いて勧告を試みることはあつても右は前記合意成立を助長する為めであつて、当事者の自由な意思決定に依る合理的協調精神の覚醒を為さしめる一種の試行に過ぎないのである。審判官が独立せる裁判官として当事者の意思に関せず、自己一人全責任を負つて審判の基礎たる事実を確定しようとする場合とは自ら立場を異にするのであるから(右は立場の高低上下を謂うのでなく只だ方向の差を謂うのである)、調停不調に依り審判を為さむとする場合には此の異なつた立場より特別の審判の為の取調を為し其の資料を基礎とすることが望ましいのである。若し調停に関与した審判官が調停中の当事者関係人の供述態度に依つて既に審判の結論に付決定的の確信を持ち、更らに審判の為に特に調査の必要を感ぜず又は調査するも単に形式的に取調べるのみと考える程度に確信が不動であると自覚するならば、其れは審判に付先入主観を持つと謂うべきで従つて審判より回避するのが望ましいと謂うべきである。此の点は民事の判決手続と家事審判とに於て毫も差異はない。上来説示した理由に依り原審判は其儘認容し難く、之れを取消した上更らに取調を為し相当な審判を為す必要があるのであるが、本件に於ては別に財産分与に付原裁判所に於て審判の取調進行中であること記録上推測されるのであつて、子の一生にとりては最も重要であり、而も右財産分与審判と審理の資料に於て相当共通関聯するものありと考えられる本件親権者監護者指定の審判は、原裁判所に差戻した上更らに審理するを相当と認め主文の通り決定した次第である。